吉野ヶ里町 yoshinogari-town

町の歴史

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 吉野ヶ里町においては、弥生時代(約2千年前)の大規模な環壕集落跡である吉野ヶ里遺跡や、多彩な副葬品が発掘された三津永田遺跡・二塚山遺跡をはじめ、考古学的にも著名で重要な原始・古代の遺跡が多く分布しています。この事は太古の時代から人々が生活を営んでいた地域であることを示しており、出土した青銅鏡や銅剣などの遺物は大陸など他地域との交流を物語っています。
 奈良時代の辛上廃寺や大宰府へと続く「西海道」の官道跡などは古代社会の発展過程を考える上で重要なものです。また、脊振山一帯は、およそ千年に渡り山岳仏教で名高い土地であり、その中心遺跡として古代から近世と続く霊仙寺跡が残っています。霊仙寺跡の石上坊跡は、「日本茶樹栽培発祥の地」との言い伝えが残る場所です。
 江戸時代には、成富兵庫茂安によるとされる蛤水道が造られ、現在でも吉野ヶ里町の重要な水資源の一つとなっています。また、小倉〜長崎間(57里、約224キロメートル)を結ぶ長崎街道が中央部を東西に通り、田手宿・目達原に残る街並みから往時の面影を偲ぶことができます。
 このような歴史のなかで、地域内には遺跡や歴史的建造物、寺社など多くの歴史的、文化的遺産があり、また、各地域では伝承芸能や伝統行事等が継承され、地域文化を形成しています。特に現在は、地域文化活動として赤熊太鼓や吉野ヶ里バンブーオーケストラなど、新しい文化が育ってきています。

吉野ヶ里町の歴史の写真


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